ゆっくり急げ。

伝えたいこと、気になったことをだらだら書いてみます。

舞台をオススメする理由。

これまでの記事でもしかしたら“舞台”というものに対してネガティブなイメージを持たれた人もいるかもしれない。

でも僕が否定したいのは“劇団のシステム”であり、舞台そのものを否定しているわけでない。

なので今日は全力で舞台の良さをお伝えしようと思う。


舞台をオススメする3つの理由

  1. セット・光・音を楽しむ
  2. 役者との距離感に驚く
  3. LIVEならではの感動


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セット・光・音を楽しむ

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舞台というのは限られた空間の中でいろいろなものを表現しなくてはならない。
シーンが変わったり、同じ舞台上に2つの空間を作らなくてはならないこともある。(例えば電話をかけるシーン。映画ではカットを切り替えれば済むが、舞台では板の上に”かけた人”のいる場所と”受けた人”がいる場所の2つを再現しなくてはならない)
それらを可能にするのが舞台セット、照明、音響である。


ワンシチュエーション、例えば教室のみを舞台にしたお話だったら教室を丁寧に作りこめばいいわけだ。(その中にも小道具などこだわりはたくさん)
だが場面がいろいろ変わる舞台では、運動場でのシーンなのに前の場面の教壇や黒板があっては成立しない。なので特に小劇場なんかでは場面転換(場転)が多い舞台は比較的抽象的な舞台セットになることが多い。ただの箱を椅子にしてみせたり、積み上げて壁を作ってみたり、踏み台にしてみたり、表現は様々で観る人の想像力も掻き立てる。
大きな劇場では右側に一つ、左側に一つ、真ん中に一つ、と様々なセットを場所を分けて細かく丁寧に作れたりもする。他にも舞台の上に"盆"と呼ばれる中華屋さんのテーブルのようなくるくる回る装置を作り、その上に表裏違ったセットを立てて本番中にぐるりと回すことで全く違ったシーンを演出したりなんかもできちゃう。初めてこういうセットの舞台を見たときは本当に驚いた。


空間を分けるのに用いるのはセットだけではない。照明だって大きな役割を担っている。光の角度や色を変えることで場所を分けたり、時間経過さえも表現できてしまう。
影をつけて窓からの日差しを演出したり、部屋の照明を演出したり、日常の"光"を再現するだけなく、真っ暗の中役者1人にスポットライトを当てたり"心情"の表現にも使われ、照明の使用方法は無限大である。
ロンドンで観たレ・ミゼラブルのミュージカルでは狭い劇場ながらも左右から出てくるバリケードのセットのクオリティーや、革命軍の正面から光を当てて影をバックに大きく映すことで表現された彼らの勇ましさに感動した。


音響は劇場の反響具合やその時の役者の台詞の大きさなどに合わせて、一音一音ボリュームを調整したりしている。
シーンに合わせたBGMを流すのはもちろんのこと、ドアの開閉音や電話の着信音などの効果音が箇所によってちゃんと分かれていたりするのでそれを発見するだけでも楽しめる。
正直僕は音楽で煽ってお客さんを泣かせにいったりする演出が大嫌いなので(脚本が面白くない人ほどそうやって無理やり持って行きがち)、劇中のBGMはなければないほうが好みなのだが、音を楽しめるもう1つ要素としては"M0"だ。M0とは舞台が始まる直前に「始りますよー!照明落としますよー!」とお客さんをいい意味で煽る1番始めのM(音)のこと。M0は劇中のイメージやメッセージなどを踏まえた選曲をしてある場合が多く、観終わってから振り返ってみても楽しめると思う。




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役者との距離感に驚く

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もちろん舞台では生身の人間が目の前で芝居をする。いつもブラウン管越し(今はもうないか笑)に見ていた有名人をすぐそばで見れるだけでも価値はあるかもしれない。
小、中劇場の俳優であれば終演後、普通に客席や開場の外に出てきてお客さんもお見送りをしている。数分前まで舞台の上にいた人が目の前に現れるのでビックリするだろう。笑
お気に入りの役者さんが見つかれば思い切って声をかけてあげてください。ブロマイドなどの販売がなければ2ショットを撮ってもらえるかもしれないし、2ショットは無理でも買ったブロマイドにサインをくれるかもしれない。話しかけられた役者はめちゃくちゃ嬉しいものである。観てくださってありがとうの感謝の気持ちしかないわけだから。その場で舞台の裏話なんかも聞けちゃうかもしれない。本人から自分だけが聞ける裏話、これも舞台ならではだろう。




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LIVEならではの感動

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やはり舞台の最大の魅力はLIVE感
生だからこそのミスも正直ある。しかしどんなミスをしようがやり直しはないし、そのミスは役者同士のアドリブで回収しなければいけない。
僕の出演していた舞台で、告白したタイミングで間悪く他の人が登場するシーンがあったのだが、登場するはずの役者が楽屋でのんびりしすぎて出とちり(自分の出るタイミングを間違え出遅れること)、舞台で彼の登場を待っているカップル2人が「……え、聞こえなかった?付き合ってください!」「あっと…えっと」ととっさのアドリブで数分場をつなげるなんて日もあった。楽屋では「あれ、出番カットされた?」なんて声をかけた瞬間、あわてて舞台に飛び出して行った。笑

アドリブは軌道修正の場面だけではなく、自分から発信する場合もある。一部のセリフを日替わりで変えたりして複数回来てくれているお客さんにも楽しんでもらえるようにしたりする。
僕もポケットに入っていたアメを取り出して食べるシーンがある舞台の時、日替わりでアメからスニッカーズ、きな粉棒と変えていき、食べた後にちゃんとセリフを言えるのか挑んでいたりした。ねちょねちょしたり、きなこを吹き出したりハプニングはつきものなのでそこそこ盛り上がった。最終日にはロシアンルーレット的な1つだけすっぱいガムを取り出して、何も聞かされていない共演者も巻き込んで会場を沸かせた。結果ハズレを引いたのはヒロインの女優さんだった。さすが持ってる!(当たり前だが演出家には事前に許可をもらったし、ちゃんとみんなにティッシュを渡してハケましたよ笑)
もちろん所見のお客さんもいるのでその人たちを置いてきぼりにしない、身内ネタに走らないようにしなければならないが、こういう日替わりネタがあると共演している側も毎日が楽しみになるので嬉しかったりする。






舞台では一公演一公演が本番であり、一度幕が上がったらカットはかからない。このやり直しがきかない状況で大成功させるために役者は約1ヶ月全力で稽古をする。そこにはLIVEでないと伝わらない熱量が間違いなくある。役者が流す1筋の汗、1粒の涙、声を張り上げる喜びや怒り、つぶやくせつなさや苦しみ。舞台には観ていて直接心に響くセリフがきっとあるはずだ。
中には映画料金の何倍もする舞台もある。しかしそこには舞台でしか感じることのできない何かがあるはずである。是非1度劇場に足を運び、光と音に包まれ、役者の熱量を感じ、最後は笑顔で見送られながら劇場を後にしてみてください。きっと素敵な非日常体験になるだろう。

僕もこの記事を書いていて、やっぱり舞台もいいなぁと再認識しました。

これからの時代に必要なこと。

今日はこのブログを立ち上げた所以でもある僕がみなさんに“伝えたいこと”をメインに書こうと思います。


僕は今後生きていく上でこれまで以上に気をつけて行きたいことがあります。

それは

嘘をつかない

ということです。


もちろん他人のためにつく素敵な嘘もあります。
大勝負の際に口からでまかせを言って自分を鼓舞する嘘もあります。


でも嘘って大抵その場しのぎに使っちゃったりしませんか?

  • 寝坊したのに電車の遅延と嘘をつく
  • 締め切りに間に合わないのを期限の勘違いだったと嘘をつく
  • 妥協して失敗した事業を全力で行ったうえでの結果だと嘘をつく

小さなことから大きなことまで様々な嘘があるのですが、大抵バレます。
役者でもバレるときはあります。笑


そんなときに失う物が信用です。

これからの時代
「あいつは信用できないやつ」
なんてレッテルを貼られたらもう終わりです。


SNS全盛期のこのご時世、誰のどの発言を信じていいのかわかりません。やはり最後に頼りになるのは人と人とのコミュニケーションから生まれる信頼関係です。
SNSだけを利用した一方通行のコミュニケーションでは、どちらかが過度に期待しすぎて蓋を開けたら中身はからっぽなんてことが起こりえます。



僕は嘘をつくことですごく心が痛んでいた時期がありました。


それは面白くない脚本の舞台を“面白いから観に来てください!”と宣伝しなければいけないときです。


演劇は最も敷居が低い芸術とも言われていて、お金さえ出せば誰でも主催者として公演を打つことができます。どんな脚本でも、どんな芝居でも舞台は成り立つのです。

やはり自分が面白いと思ってない舞台を心から勧めることはできないのでチケットも売れません。大赤です。


それだけならまだしも、観に来てくれた人が「面白いって言うから観に来たのに全然面白くなかった」と自分への信用が下がり、もう観に来てくれなくなる。というのが一番最悪です。


舞台は映画やドラマみたいに“見所”を映像を使って宣伝できません。
お客さんは指定された時間に指定された場所にわざわざ行き、映画2,3 本分のお金を払って博打をするようなものです。


この嘘まじりの宣伝は競馬で「この馬が優勝するよ!」とハズレ馬券を買わせるようなものです。
大分後ろめたいものがあります。


そんな想いもあって、嘘をつかなければいけない環境とはさよならしました。


これからは
信用を積み重ねて信頼される人間になりにいきます。

その一環としてこのブログも始めました。
これまでに赤裸々に劇団員時代の貧しさを書かせていただきました。
xiong2532.hatenablog.com
xiong2532.hatenablog.com



そしてここに宣言します。
これから先

僕が皆さんに宣伝する仕事は100%面白い物

を届けます。
舞台だろうが、映画だろうが、何か突拍子もないイベントだろうがしつこいくらいに宣伝します。
絶対に面白いものにするから。

楽しみにしててください。


さて次回は、
劇団というシステムを軸に舞台を軽くディスってしまったので舞台のよさを全力で書こうと思います。

劇団員がお金がないワケ。

前回のブログで劇団を辞めた理由はお金がないからだと書いた。
詳しくはこちら↓
…と言えるほど詳しく書いてませんがよかったらどうぞ。
僕が劇団を辞めた理由。 - ゆっくり急げ。


ではなぜ劇団員はお金がないのか。
簡単である。
収入が少なく、支出が大きいからだ。
劇団員は無償の作業に時間を使い、稽古をするのに交通費がかさみ、さらには出演するのにもお金を払ったりするのである。

今日はそんな劇団員の収入のお話をしたい。
そもそも劇団の収入源は大きく分けて2つある。
物販(物品販売の略、グッズ販売のこと)とチケット代の売り上げだ。
これらはそのまま劇団員の収入とも言える。



・物販収入
物販の売り上げから個人に入る収入は微々たるもので、自分が写っている写真(ブロマイド)の売り上げの数%(ロイヤリティー)がもらえたりする。
1枚で売っていることは珍しく、大抵2枚500円か4枚1000円で1セット。
その30-50%ほどがもらえるので、1セット売れて150円ほど。
そんなに大きな収入源にはならない。
(値段もパーセンテージも劇団によってピンキリ。僕のところは劇団員にはどれだけブロマイドが売れようがロイヤリティーは入ってこなかった)


・ギャラ
次にチケット代を基に劇団員に還元されるのが出演料、すなわちギャラである。
このギャラには2パターンあり、出演交渉の時に「○○円で出演をお願いします!」と言われるパターンと、チケットバックと呼ばれる自分が売ったチケットの枚数によって金額が変わるパターンがある。
これらは簡単に言えば集客できる役者かどうかで決まる。
集客できる役者には高いギャラを払って出演してもらう。集客できない役者にはギャラは少なく、場合によっては逆に払ってもらうこともある。

-1ステ制
出演の依頼を受けたときに提示してくれる場合は大抵"1ステージ○○円、合計××円"という算出になる。
自分が所属していたところで主役をやるとなれば1ステ7万円ほど。基本1公演7ステージなので49万円がギャラとなる。
もちろんそれなりの実力、集客力、話題性などがあってギャラが決まる。役によっては1ステ数千円とかの場合ももちろんある。

-チケットバック制
厄介なのはチケットバックである。劇団員の場合ほとんどはこの支払方法。チケットバックは大抵、「この枚数以上は売ってください!」というノルマとセットとなっている。たとえば”ノルマ30枚、31枚目からバックあり”という感じである。31枚目以降のバックの金額もまちまち。チケット分全額バックしてくれるところもあれば、31枚目以降1枚につき500円バックなどという鬼畜なところもある(うちの劇団がプロデュースしている小劇場で行う公演はこの条件であった)。

ノルマと呼ばれるだけあって30枚に達しない場合はその差額分のチケット代を自分で払うのである。
一見簡単そうに思えるこの30という数字がなかなか厳しい。
正直自分は1度もこの30という数字を超える集客をできたことはなかった。
これが"劇団員は自分でお金を払って舞台に立っている"という現状である。


ちなみに自分が最も好条件で出演依頼を受けたのは
"1ステ9000円×18ステージ(ノルマ無し)"であった。
有名な2.5次元俳優の方々と共演させていただき、チケットは即完売。
チケットを売りたくても売れない状況のためノルマなし、ギャラもどうぞ!という太っ腹な団体さんだった。



・アルバイト
上記のような場合を除き、基本的には微々たる収入、もしくはお金を払ってまで出演している劇団員。
大きな収入源はもちろんアルバイトである。時間を見つけてシフトを組んだり、体が空く夜勤に働く。
しかし劇団員たるもの好きにアルバイトできたもんじゃない。


劇団員である以上、自分たちの劇団の公演の準備は自分たちで行う。
僕が所属していた劇団では衣装は基本手作り、舞台上で使う小道具も作るか捜して集めるのが基本。
舞台のセットだって自分たちでサブロク(横3尺、縦6尺の大きさのパネル)に色を塗って、なぐり(トンカチ)で組み立てる。
稽古場に足を運び、欠席者の代役、演出家や共演者のフォロー。やることはたくさある。
しかしこれらの仕事に対してはお金が出ない
ギャラは出演者のみに支払われるからである。

僕がいた劇団は出演者が20人ほどいる中で、劇団員の出演者の数は5人程度。
あとは全部外部のゲストであった。
出られない劇団員は20人を超える。
彼らはいつか自分も劇団の代表として舞台に立てる日を夢見て、無償で劇団の仕事を手伝ってくれているのである。


ちなみに僕は2年半で2回、自分の劇団の舞台に立たせてもらえた。

キャパはどちらも300人ほどの劇場
・1ステ5000円×14ステージ(出演する劇団員7人で100枚ノルマ)
・1ステ5000円×7ステージ(ノルマ20枚)

おかげさまでどちらも黒字。
だが1カ月みっちり時間を費やし収入は数万円。これではもちろん生活できない。。。



劇団員はアルバイトする時間を削り劇団に尽くし、スケジュールに空きがあればお金を払って他の舞台に立つのである。

僕が劇団を辞めた理由。

地元の大学を卒業したがお芝居がしたくて上京を決意した僕。

東京の劇団へ入団して2年半。僕は劇団を辞めた。

 

その理由はお金がないからである。

 

「え、売れない役者がお金がないなんて当たり前じゃん。人生甘く考えすぎじゃね?」と思う人もいるかもしれない。

まったくもってその通りである。

 

当時僕の月収は、アルバイトとたまにあるエキストラの仕事を合わせても10万円ほどであった。

さすがに“風呂なし3万のちょいボロアパート(この住まいについてもいつか書くかもしれない)”に住んでる僕でさえ月10万円では生活が苦しい。

買い物はほとんどクレジットカードを使って分割払い、その月は過去の自分の生活費を返済し、現金はカードでは買えない交通費や打ち上げ代に回した。どうしても現金が必要な時には飲み会の会計を僕がクレジットカードで払い、みんなから現金をもらうという作戦でしのいでいたりした。

 

そんな僕がお金がない時期を過ごして感じたこと。

それは貧乏は人間を小さくするということである。

心に余裕がなくなり、些細なことでも気になったり、欲しいものが買えない、食べられないストレスがどんどんたまる。

当時の僕は、地元から遊びに来てくれた友達が食パンに塗ったピーナッツバターの量にまで激怒するぐらいちっぽけな人間だった笑

 

「このままでは絶対にだめだ。」

その頃僕の周りの人間関係が変化したこともあり、その流れのまま勢いで退団した。

 

もちろんお金がなくても“やりたいこと”をやっている人はたくさんいる。

そう。僕は劇団に所属し“やりたくないこと”をしていたのだ。

 

次回は「そもそもなんで劇団員はお金(時間)がないのか」、「小劇団の仕組み」について書きたいと思う。